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第25回 「現代思想のおさらい2」



第25回(3/14)
建築論「現代思想のおさらい2」

こんにちは

今回は、建築論のみをお届けします。




先週お勉強した「固体の哲学」である形而上学と横に並ぶように同時進行して、
アリストテレス→スピノザ→ライプニッツ という流れの中に、「液体の哲学」の芽がありました。


この芽は、近代の最後、ニーチェに受け継がれた頃から、形而上学のカチカチした固体はどんどん溶解してゆき、しばらくしたら「液体の哲学」になって行ったんです。
氷が溶けるみたいですね。


そんな固体を液体にする流れを受け継いだ有名人がジャック=デリダのようです。

デリダは、「脱・構築」という概念を唱えた人ですが、建築での「デコン(=デ・コンストラクション)」も、ここから来ています。
でも、「“デコン建築”をちゃんと緻密に理解して口で言える人が殆どいないことが今の日本の建築界の悲しいところだよ」ということも知りました。

それは、私たちが以前に勉強した「形式性の崩壊ということと深く関係しています

建築論というのものは、こうした「緻密な理解と関係しているんです。




先生は、「僕たちは、雰囲気で建築を批評するようなことがあっては絶対にいけないと、いつも口にされます。
その意味は、とても厳しい自己批評の中に、御自分の建築を置かれることを意味しているのだと思いました。

今、色々な人の「批評」を聞くと、それは「批評」じゃなくて「感想文」のように思えることがあります。
そこには、批評の論理が無いから、感情で言葉が出てしまうだけだからです。





さて、今の話とは別に、アンリ=ベルグソンという人は、デリダより昔の人ですが、とっても液体っぽい人だったようなのです。

前のデリダも、まだまだ固体の要素(形而上学)が強くって、本当の本当の液体になっていったのは、ジル=ドウルーズという人のあたりからのようです。
この頃には前後しながらも、ジャック=ラカンモーリス=ブランショテオドール=アドルノなどという人たちもいました。

しかし、先生が言われるには、「こうした人たちは論理ではなく、ある意味、詩なんだよ」と。


え~哲学が何で詩なの


でも、建築論をずっと勉強してきた私たちには、哲学の意味、詩の意味、存在の意味、などを教わってきたので、少しだけその意味がわかるようにも思えます。






それでは、哲学講義の最後に私が思ったことを少し述べてみます。

2000年間もかけて西洋の人たちが手に入れたこの「液体の哲学」が、実は、ずっとずっと昔に、日本では道元によって、もっともっともっと昔なら、般若心経によって説明済みであったこと
このことって、とっても凄いことだと思いましたし、東洋人として日本人とし、ちょっと誇りに思うところもありました。


やっぱり、私たちは、今のうわべの流行なんかより、私たちが生まれた国のずっと昔を見つめ続けることが大切だし、
それを「恰好いい」と思える視点が、最初のうちは大切なように思いました。

個人的なことですけれど、最近、私は、
西行、鴨長明、吉田兼好、世阿弥、松尾芭蕉、道元、一休さん
みたいな男性に、男気を感じたりしています






                         前田紀貞塾 村越千紗









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第24回 建築論は勉強の道しるべ/「現代思想のおさらい」



第24回(3/7)
建築論は勉強の道しるべ/
建築論「現代思想のおさらい」







こんにちは!

今回は、いつもお伝えしている設計演習の授業ではなく、
もうひとつの授業である建築論についてのお話です。


24_建築論授業

建築論の授業は、設計演習コースの塾生全員と、卒業設計コースの有志が聴講しています。
ですから、こんなに大人数です。


毎回、テーマに沿って、先生がわかりやすくお話してくださいます。



24_ホワイトボード

理解しやすいように、ホワイトボードを使いながら授業は進んで行きます。

文字だけではなく、図や絵もたくさん登場します








24_プリント

ホワイトボードを書き写すのに夢中になり、お話を集中して聞けないことを避ける為に、
毎回講義内容のプリントが配られます。

これで、思い切りお話を聞けるわけです










毎週配られるプリントをファイリングしていけば、こんなに立派な「建築論ノートが出来上がります

24_建築論ノート








ノートの中を覗いてみましょう。

24_ノート中身

関連した写真などもたくさん載っていますね

もともと先生は、例え話を多くして下さるので理解しやすいです
加えて図や写真もあるので、とってもイメージがしやすいのです

少し難しい内容でも、理解することができます









プリントの余白にはみんな自分流にメモをとっているようです。
書き込みがたくさんありますね

24_メモ1

24_メモ2











さて、授業に出て来る言葉などは、すべて知っておくべきことです。
このまま知らずにいることは、創作をする者として恥ずかしいことです。

この授業で習うことは、本来、創作をする者として自分で学ばなければならないことです。

ただ、勉強しなければならないことはとても莫大で、
何も知らない人にとっては、どこから手をつけていいのかわからないというのが正直なところですよね。。。

建築論の授業は、それを導いてくれます

勉強のスタート地点で、走り出す方向を教えてくれるのです。
スタート地点について向かうべき方向を教わったら、走るのは自分です
ここからは自分で勉強して行かなければなりません




建築論の授業の中では、読んでおくべき本などが紹介されることもよくあります。

24_紹介本

それを、きちんとメモを取って・・・・ここからは自分での勉強です



24_本

これは、授業で紹介されて、ある塾生が自分で手に入れた本のうちの一部だそうです。






24_紹介人名

だけでなく、授業に出て来る人名なども大切です




24_勉強

何やら紙がいっぱいですね。
この塾生は、授業に出てきた人について自分で調べているようです


こうして塾生たちは、今度は自主的に勉強をはじめて行くのです。


建築論の授業には、勉強のヒントがたくさん詰まっています。
ただ受け身で授業を聞いているだけではダメなのですね。

建築論の授業は、勉強の「道しるべ

ここからがスタートなのです









                      



それでは、その建築論の授業です

建築をやるにあたって、ギリシア時代から現代までの西洋哲学の内容を勉強しました。

こんな大問題を、とても短期間で学習するのは、普通は超難しいことですが、そこが前田建築塾
それでも、たった回でギリシア思想から現代のポスト構造主義までの2000年間の思想の要点をまとめたのです


まず第回目としては、沢山沢山いる思想家の中から

プラトン
アリストテレス
デカルト
スピノザ
ライプニッツ
ヘーゲル
ニーチェ
バタイユ
フッサール
ハイデッガー
ソシュール
フロイト
レヴィ=ストロース


だけをピックアップしました


哲学者は沢山いるのに、どうしてこれだけとも感じましたが・・・・
きっと何かあるんですね



では、その内容のおさらいです。


今日は、基本的には西洋哲学を支えてきた「形而上学とは何か?」という問題について説明がありました。

西洋は、2000年間に渡って、形而上学という「哲学」であり「真理」である確固たる思考が支配的でした。

しかしその中でも、そこから「逃れるものが、実は、とても大切であることを教わりました。

その「逃れるものの系統とは、昔ならアリストテレス、そして中世になってのスピノザライプニッツ、そして近代のニーチェ

「哲学なんて、基本的にはこの4人でいいんだ」という言葉にびっくりです


彼らこそが、西洋の2000年間に渡る「哲学」の中での異端であり、しかし、それ故に実は現代の思想につながる本質でありエッセンスを持っていることが、よ~くわかりました

また、これらの思想というのは「堅い形而上学」ならぬ「柔らかい生の哲学」として、
「固体」に対しての「液体」のようなものとも考えられてもいたようです

そして、この「液体の哲学」は、実は、とても日本古来の思想と似通っている部分もあることは、
前回の鈴木大拙や西田幾太郎の話を覚えていたので、どこか似ていてよくわかりました。

次回は、その「固体の哲学(形而上学)」の後の「液体の哲学(生の哲学)」が、どのように現代哲学(ポスト構造主義)に繋がって行ったのかの説明となります。






                         前田紀貞塾 村越千紗









第23回 「自然を受信する庭」エスキース/「西田幾多郎-2(否定の論理-6)」



第23回(2/28)
「自然を受信する庭」エスキース/
建築論「西田幾多郎-2(否定の論理-6)







こんにちは

今回は、第3課題「自然を受信する庭」のエスキース模様をお伝えします


23_少人数


おやおや
何だかいつもと雰囲気が違いますね

最初の頃と比べて塾生が随分と少ないですね


課題ともなると、徐々に、塾生も淘汰されてきます


そもそもこの建築塾は、前田が「将来、日本の建築文化を背負って立つ者たちのためにと始めたものです。

ですから、建築でも手を抜くことはありませんし、それ以前に人としても半端は許されません

この建築塾は、いつもお届けしているように楽しく和気あいあいした面もありますが、同時に厳しい面もあるのです。


でも、それが家族っていうことですよね

そして、ここまで残っている塾生は根性があると思います





さてそんな塾生たちはどんな案を持ってきたのでしょうか




何やらガラスのビー玉が敷き詰められた箱を持ってきた塾生がいました。
この箱は電車の車両だそうです。

彼は、この電車を「装置」として提案していました。


23_竹味1


23_竹味2


23_竹味3

先生は模型を覗く覗く覗く・・・
模型の中の、人の目線で見てみるのです。



中はこんな感じです。

23_竹味4
ギッシリ


この電車という装置に、都市(自然)を受信させるそうです。

23_竹味5

パソコンの中の、都市の動画にビー玉の模型をかざしています。

わくわくしてきますね






今回の課題は、パソコンを使って取組む塾生が多いです。
23_村山1


23_村山2

この「自然を受信する庭」の課題では、どんな現象が起こるのか、実際に見えるということまで示さなくてはなりません

ですので塾生たちは、それぞれがいろんな方法を駆使してシミュレーションしているようです。




皆、他の塾生の作品にも興味深々です。

23_村山3

おや 一人寝ているひとが・・・
いいえ、もちろん寝てなんかいません。たまたま目をつぶってしまっただけです

もしも、居眠りなどしようものなら、冗談ではなくアトリエのスタッフ達の鉄拳がお見舞いされますから





設計演習をしていても、いろいろなお話があります。

こうして、白板にもいろいろなヒントが描かれます。

23_板書


だから、他の塾生の発表時のアドバイスも、みんな真剣に聞き、メモに取り自分の栄養にしてしまうのです
やる気ですね




23_メモ1



23_メモ2



23_身近



さあ、作品が楽しみですね








                      





さて、建築論は幾多郎おじいちゃんについての説明の続きでした。
今回は、「純粋経験というものについてのお話です。

幾多郎おじいちゃんは、

主観(私)と客観(世界)などに未だ分けられていない、もっともっと“純粋なものを哲学のベースにしなくてはいけないよ
そうしないと哲学というものは精密なものにならないよ


と、考えていましたが、それのひとつが「純粋経験というものです。



例えば、「風がざわざわするという経験がありますが、

風を感じた最初の0.1秒目には、「私が感じた」とか、「それは風による」などという思いはなく、
ただ「ざわざわという感触」があるだけです。

確かに、ほんの最初の一瞬の一瞬の気持ちはそうかもしれません。

「私」(自己)にも「風」(他己)にも未だ分割させられていない、「純粋ななにか」こそが「純粋経験と呼ばれるというものでした。



そういえば、コルビュジェの建築に入った時の、
あの、どんな言葉にもできないみたいな、衝撃みたいなものって、
もしかしたら純粋経験に似ているのかな






                         前田紀貞塾 村越千紗









第22回 一蔵と文太/「西田幾多郎ー1(否定の論理ー5)」



第22回(2/21)
一蔵と文太/
建築論「西田幾多郎ー1(否定の論理ー5)







こんにちは

今回のタイトルは「一蔵(いぞう)と文太(ぶんた)」です

さて、この渋い名前の2人は、一体だれなのでしょうか

実は、アトリエにいる動物たちの名前なのです。

アトリエには、犬の一蔵(いぞう)文鳥の文太(ぶんた)という仲間がいます。

今回は、この仲間たちをご紹介します。




一蔵(いぞう)
22_一蔵と金魚

黒のラブラドールです。雄です。


一蔵は、とっても良い血統の犬らしいです。
この一蔵を除いた残りの兄弟はみんな盲導犬や警察犬として活躍しています。
そんな中、この一蔵だけはオマヌケさんだったようで、あるブリーダーのもとにのんびり暮らしていました。



先生がはじめて一蔵に会ったときは、ガソリンスタンドのはしっこにある檻で丸まっていたそうです。
22_一蔵ちび




一蔵の名前の由来は、「岡田以蔵」から。
だからミドルネームは hitokiri です。



一蔵は、スタッフの中でもかなりの古株
私がはじめてアトリエの敷居を跨いだときには、一蔵はもう歳でした
だから、本当は「一蔵先輩」なのです。




一蔵は、自分のことを人間だと思っているんじゃないかとよく思います。

アトリエが忙しく、みんな徹夜で作業するときは、一蔵一緒に徹夜しています
先生がスタッフに集合をかけると、一蔵も集合してきます。
しかも、みんなが円陣になると、真ん中には行かずに一蔵も輪の一部になるんです。



一蔵先生が大好きです。
先生がトイレに行くとさびしく鳴きます。 クゥ~ン
22_一蔵かなしい
見てください、このさびしい顔



また、強い一面もあります。
大きい犬とのケンカには負けません、あやしい人に吠えるので番犬になります。
宅急便やさんが来るとちゃんと吠えます。
しかし、宅急便やさんの真似をするとスタッフにも吠えるオマヌケさんでもあります。



よく先生の椅子に寄り添っているので、たまに先生が椅子を動かしたときにしっぽを轢かれて叫ぶこともあります。
22_一蔵ぺたー




一蔵はみんなから可愛いがられています。

いつも通路にいるので、仕事中にみんなにかまってもらえます。
スタッフが通路を通るたびに、なでられたり、なぎはらわれたりしています。

時には、いたずらをされることも・・・。
22_農家の一蔵
なんだか、畑でも耕しそうですね



一蔵は、スタッフのマサのことも大好きです
マサにはよくお世話してもらっています。
先生がいないと、マサに寄り添っているのをよく見かけました。
かわいいやつです

22_顔








文太(ぶんた)
22_文太2


文太白い文鳥です。こんな名前だけど、なんとです。

名前の由来は「菅原文太」です。



半年前くらいにアトリエに仲間入りした新顔です

文太は、最初は全然人に慣れず
カゴの扉に手をかけると必ず 「ピ」 と言いました。
たぶん、「やめて!」という意味なんじゃないかなと思います。


でも、徐々に慣れてきて、今では手の上にも乗るようになりました。
いちばん近い席のスタッフ、麻衣に慣ついているようです

水浴びが好きで、朝は水の中に入って羽ばたきバシャバシャやります。
食べ物では、青菜が大好きです。


動き回ったり、首をかしげたり、仕草がとってもかわいい文太です

プルプル文太







まだ仲間入りして間もない文太のエピソードは、これから増えていくことでしょう


こんなふうにアトリエには、犬がいたり、鳥がいたり、バイクがあったり、サーフボードがあったり・・・
いろいろなものが入った、まるでお道具箱のようです。








                      




さて、建築論です

今日からは西田幾多郎です。
幾多郎は「いくたろう」ではなくて「きたろう」と読むようです。

西田幾多郎は、鈴木大拙の後を引き継いで、世界でも独特な思想を作り上げた日本の誇る哲学者の一人です。

西洋の真似をしない禅を基にした哲学思想を作り上げてゆきました。

禅ですから、「己を忘れるという思想が基本にありますが、
幾多郎おじいちゃんが凄いのは、それを禅問答みたいな曖昧で難しいことでなく、私たちが理解しやすい西洋の説明の方法に乗っけてわかりやすく説明してくれようとしたことです。


私たちが受けてきた、明治以降の「近代の教育」は、教科書をはじめとして、ずっと西洋の説明の方法でなされてきました。

西洋の論理では、「A」と「非A」は矛盾していますが東洋の論理では、この2つは矛盾していません
もうそんなところから、私たちの脳味噌は西洋の説明に慣れてしまっているのです。
知らず知らずのうちに、西洋の脳味噌になってしまっているのです。

あるいは、西洋では「矛盾はいけないことですが、東洋では「矛盾が普通です。


日本では、死を以てはじめて生が輝きますし、生の中に平気で死が入り込んできますけれど、
生と死が一緒であることはなかなか近代の西洋の方法ではわかりにくいことです。

だから、幾多郎おじいちゃんは、「だったら君たちが慣れているやり方で説明してあげるよと言ったのだと思います。




最初に、おじいちゃんの一番の美味しい思想である「絶対矛盾的自己同一」の話が出ましたが、「自己とは自己を否定するところにおいて真の自己である」ということでした。

これは、ちょっと大拙おじいちゃんと似ているように思いました。よくわからないけど似てる気がする・・・・・。

違う言いかたをしたら、
「【A】というものは、【非A】というものを通して、本当の【A】になる」
というようなことらしいですが、その否定の論理こそ実は「場所」というものの本質だということです。

「禅の話」なのに「(建築の)場所」と関係あるの

でも、この塾の最初に習った、
「働きとしての場所」
「函数としての場所」
「空(クウ)」

という説明と並べてみると、少しだけ何となくわかるようにも思えます。


超越論的ってことに近いのかなあ・・・・。






                         前田紀貞塾 村越千紗









第21回 第3課題スタート!!/「鈴木大拙-2」



第21回(2/14)
第3課題スタート!!/
建築論「鈴木大拙-2(否定の論理-4)」







こんにちは


いよいよ課題のスタートです
建築塾第1期の最後の課題となりました。


今回の授業では、課題の説明がありました





第1課題の住宅、第2課題のMacショールームと続いて、
締めくくりの課題は、「自然を受信する庭」です。


「え 建築じゃないの」 と、お思いでしょうか


それが違うのです


よくよく聞いてみると、この「自然を受信する庭」とは、のお庭のような「庭」という意味ではないようなのです。

21_家の庭





ここで言う「自然を受信する庭」とは、

「“感知できなかった自然”を感じられるように映し出す装置のことです。


ちょっとむずかしいですね
でも、こんな例を紹介してもらったのです




■ ししおどし

21_ししおどし

日本庭園に、風流な装飾としてよく設置されている「ししおどし」です。

一方を削った竹筒に水を引き入れ、満水になるとその重みで竹の片側が下がって水がこぼれる。
そのときの反動で竹筒が跳ね上がり、竹筒の端が地表の石をたたいてカッコーンと音を出す仕掛けです。


竹でできた装置によって、“水”や“竹”というものを発見できるのです。


つまり、“ししおどし”という「装置」は「水や竹を映し出す庭」ということになるわけですね。

大きな意味での「庭」というものは、「装置(=道具)」であることもあります





なんとなくわかっていただけたでしょうか


だから、「自然を受信する庭」は、建物でも、テーブルでも、車でも、なんでもかまわないのです

必要なのはそれが、自然を再発見する装置になっているということ





ん~、建築塾の締めくくりにふさわしい課題ですね


さあ、第3課題のスタートです








                      







さて建築論です。

今回は、先々週の鈴木大拙おじいちゃんの続きです。


大拙さんの言う悟りとは、
頭の中で考えて結論を出すことなのではなくて、
「ほぼ瞬時に直覚して本質に迫ること
だということです。


今日のお話で感動したのは、
大拙おじいちゃんは、学問の派閥みたいなものを作ることが大嫌いで、権力とかお金に頼ることもしなく、また、どんな地位や名誉にも興味を示さなかった、と聞きました。

そうでありながら、日本の哲学界に凄い影響を残していったと言います・・・・。


これぞ一匹狼ですね
かっこいいなあ~~



大拙おじいちゃんは昭和41年7月12日、96歳で亡くなっていますが
その最期の日、秘書の方から「先生、何かいるものありますかと聞かれて口にした最期の言葉が、

No nothing thank you.

だったそうです。


最後まで自分の人生で無を貫いた人だったんですね。


こういうお話は、とっても大好きです







                         前田紀貞塾 村越千紗




















 
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