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第19回 前田先生ってこんな人-前編(生い立ち)



第19回(1/31)
前田先生ってこんな人-前編(生い立ち)
建築論「ハイデッガーとサルトル(否定の論理ー1)






こんにちは
みなさん、お久しぶりです。

長らく更新をせずに、申し訳ございませんでした。
これからまた、残りの、第1期生ブログをアップしていきます

今回はとても楽しい回です
前田先生がどんな人なのかを、ご紹介したいと思います


このシリーズは、前編・後編に分けてお送りします。

前編は、先生の「生い立ち」についてです。
前田先生に、アトリエ設立までのお話を伺ってきました

それでは、はじまりはじまり~








幼少時代

前田先生は昭和35年に、東京都武蔵野市の小さな団地に、教員であられた御両親の長男として生まれました。

19_赤ちゃんの先生


小さい頃から、変わった子だったらしく、パンツを履かないまま幼稚園に行ってしまったり、ふと気が付くと、何も映っていないテレビ画面(砂の嵐)を眺めてニコニコしていた、そんなお子さんだったようです。





小学校時代

その後、小学校になってから、建築家であった叔父様(鈴木高道さん)の設計された府中市の家へ引っ越されました。
この家は、先生の幼い頃の記憶に強く残っているらしく、
「今でも夢に出てくる家はあの家だけなんだ。でもゴキブリが超凄かったけど・・・・」
とおっしゃっていました。

小学校では、学校の成績はあまり良くなかったそうです
「運動も得意というわけではなく、女の子にもモテることもなかった、そんな覇気の無い子供だったよ・・・」と先生はおっしゃいます。
ビックリなんだか今の先生を知る私たちには、ちょっと意外ですね

しかも、趣味は切手収集と鉄道模型・・・・。

渋すぎます





中学校時代

その後、中学へ上がってから、ロックバンド(ベースギター)を始められました。

演奏していたのは、大好きなロックンロールやブルース
当時、一番好きだったのは「キャロルだったそうです。





高校時代

そしてその後、高校はなんとあの学習院に通われました

この頃に、バンドのお友達の影響もあって、オートバイに興味を持つようになり、お友達のカワサキのバイクを借りて乗っていたそうです。

でも、「免許の取得は大学に入ったあとにゆっくりねと、なにやらなことをおっしゃっていました。


学習院時代の面白い話として、してくださったのは、
今の皇太子殿下(浩宮様)と卓球したり、
生徒名簿にある殿下の住所(宮内庁)に電話をかけてみたり、
はたまた、殿下のお弁当を開けてしまったりした記憶が鮮明にあるそうです。

「ああ、あの弁当は日の丸弁当だったよと先生はおっしゃいましたが、真偽のほどは定かではありません・・・。




大学時代

そして、一年間の浪人生活(駿台予備校)の末、京都大学に入学されました。

増田友也先生の影響で哲学(現象学・存在論)が大好きになり
沢山のお友達と楽しみながら、真面目に建築や美術の話などをされました。
鈴木隆之さん川人洋志さんや橋爪紳也さんは、この頃のお友達だそうです

それと同時に、大学時代もずっとバンドをされていて京都の「サーカス&サーカス」や「磔磔」というライブハウスなどでロックやブルースを演奏されています。
Bo Gumbos「どんと」さん「kyon」さんも、同じバンドだったことがあるそうです。
奥様は、この頃、同じバンドにいらっしゃったキーボード奏者の方、とのことです



その後、4回生(関西ではこう呼ぶらしいです)になって就職活動をされました。
合計6社(鹿島、竹中、大成、日建、石本、大建)の試験を受けたのですが、どこも落ちてしまったそうです。
そして1年間の就職浪人をすることとなりました。

この就職浪人時代に、先生は、中野誠一さんという高松伸事務所にいらした若い建築家の方の事務所へ修行に行かれました。
中野さんは、とても厳格な方だったようで、何をやっても褒められることなど一度もなかったといいます
「でも、そこで建築の厳しさを学ぶことができたよ、と先生はおっしゃいます。

とても悲しいことですが、中野誠一さんは、この翌年、オートバイ事故で亡くなられました・・・・。
先生は、その訃報を新入社員の時に工事現場で聞き、大泣きされたそうです。





大成建設時代

そして翌年、大成建設の設計部に入社されました。

「ゼネコン出身の建築家」というのはちょっと珍しいのですが、先生もその一人です。
建築家は、時に自分が“ゼネコン出身”であることを隠そうとする方がいますが、先生は御自分のプロフィールから、この経歴を一度も外そうとされたことがありません
それどころかことあるごとに、この時代のことを、
「とても沢山の勉強をさせてもらった恩があるんだと、私たちに楽しそうに話してくださいます。
今も沢山の大成建設時代のお友達がいらっしゃいます

大成に入って1年目は、埼玉の巨大マンションの現場監督をされていたとのことですが、ここでもまた、いつも怒られてばかりだったようです


そしてこの大成建設で5年くらい働いたのちに、今の前田紀貞アトリエを開かれたのでした




後編は、先生の「趣味や人柄」について書きたいと思います。
第26回の回で予定していますので、お楽しみに





                      



さて建築論です。
前回は、鈴木大拙について勉強しました。

今回は一旦、鈴木大拙、つまり東洋的な否定の論理から離れ、比較する為に敢えて外国のハイデッガーとサルトルのお話を聞きました。

このおじさんたちも、やはり「否定」ということについて何か言ってくれています。

ハイデッガーの「有るもの(存在者)」に対する「有(存在)」、つまり「有そのもの」などは、否定の論理と近い部分がありました。
サルトルが言う「即自」と「対自」なども同じように否定という面から考えることもできます


例えば、サルトルおじさんの【即自】というのは、
私の今使っているこのパソコンみたいな「モノのことを言うらしく、

このパソコンというのは「パソコンであるところのものであって、パソコンでないところのものではない」んですね。

これって当たり前、だからわかります



でも、「私」という「人間はそうじゃなくて、【対自】と言うらしいのですが、サルおじは、
「私というものは、私があるところのものであらず、私があらぬところのものであるもの」としたんです。
これが【対自】

人間は、何をやっているときでも「常に自分を意識することができる」ので、モノのように自己同一的なあり方(いつもそれだけで一緒で変わりない)をしていないというのです


こういう、モノのような「AがAである」というのは【即自】存在においてのみであるのです

でも、人間のような【対自】では、「AはAであった」としか言うことができないんです
Aは非A(Aでないもの)をぶつけられて、本当のAになってゆく可能性がある、ってことなのです。




このことについてサルおじは、
「人間とは、彼が自ら創りあげるものに他ならない」と主張し、人間は自分の本質を自ら創りあげることが義務づけられているとしました。


そういえば、アトリエにいる一蔵(黒ラブ 犬)は、自分は自分であることしか知らないかもしれないけど、
人間というのは、自分であること以外にも“自分の在り方の可能性”を考えられますよね

自分ではない可能性にいつも開かれているのが人間ということは、いつも変わらない人って人じゃないってこと



恐るべし、サルおじ







                         前田紀貞塾 村越千紗









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