*All archives* |  *Admin*

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第22回 一蔵と文太/「西田幾多郎ー1(否定の論理ー5)」



第22回(2/21)
一蔵と文太/
建築論「西田幾多郎ー1(否定の論理ー5)







こんにちは

今回のタイトルは「一蔵(いぞう)と文太(ぶんた)」です

さて、この渋い名前の2人は、一体だれなのでしょうか

実は、アトリエにいる動物たちの名前なのです。

アトリエには、犬の一蔵(いぞう)文鳥の文太(ぶんた)という仲間がいます。

今回は、この仲間たちをご紹介します。




一蔵(いぞう)
22_一蔵と金魚

黒のラブラドールです。雄です。


一蔵は、とっても良い血統の犬らしいです。
この一蔵を除いた残りの兄弟はみんな盲導犬や警察犬として活躍しています。
そんな中、この一蔵だけはオマヌケさんだったようで、あるブリーダーのもとにのんびり暮らしていました。



先生がはじめて一蔵に会ったときは、ガソリンスタンドのはしっこにある檻で丸まっていたそうです。
22_一蔵ちび




一蔵の名前の由来は、「岡田以蔵」から。
だからミドルネームは hitokiri です。



一蔵は、スタッフの中でもかなりの古株
私がはじめてアトリエの敷居を跨いだときには、一蔵はもう歳でした
だから、本当は「一蔵先輩」なのです。




一蔵は、自分のことを人間だと思っているんじゃないかとよく思います。

アトリエが忙しく、みんな徹夜で作業するときは、一蔵一緒に徹夜しています
先生がスタッフに集合をかけると、一蔵も集合してきます。
しかも、みんなが円陣になると、真ん中には行かずに一蔵も輪の一部になるんです。



一蔵先生が大好きです。
先生がトイレに行くとさびしく鳴きます。 クゥ~ン
22_一蔵かなしい
見てください、このさびしい顔



また、強い一面もあります。
大きい犬とのケンカには負けません、あやしい人に吠えるので番犬になります。
宅急便やさんが来るとちゃんと吠えます。
しかし、宅急便やさんの真似をするとスタッフにも吠えるオマヌケさんでもあります。



よく先生の椅子に寄り添っているので、たまに先生が椅子を動かしたときにしっぽを轢かれて叫ぶこともあります。
22_一蔵ぺたー




一蔵はみんなから可愛いがられています。

いつも通路にいるので、仕事中にみんなにかまってもらえます。
スタッフが通路を通るたびに、なでられたり、なぎはらわれたりしています。

時には、いたずらをされることも・・・。
22_農家の一蔵
なんだか、畑でも耕しそうですね



一蔵は、スタッフのマサのことも大好きです
マサにはよくお世話してもらっています。
先生がいないと、マサに寄り添っているのをよく見かけました。
かわいいやつです

22_顔








文太(ぶんた)
22_文太2


文太白い文鳥です。こんな名前だけど、なんとです。

名前の由来は「菅原文太」です。



半年前くらいにアトリエに仲間入りした新顔です

文太は、最初は全然人に慣れず
カゴの扉に手をかけると必ず 「ピ」 と言いました。
たぶん、「やめて!」という意味なんじゃないかなと思います。


でも、徐々に慣れてきて、今では手の上にも乗るようになりました。
いちばん近い席のスタッフ、麻衣に慣ついているようです

水浴びが好きで、朝は水の中に入って羽ばたきバシャバシャやります。
食べ物では、青菜が大好きです。


動き回ったり、首をかしげたり、仕草がとってもかわいい文太です

プルプル文太







まだ仲間入りして間もない文太のエピソードは、これから増えていくことでしょう


こんなふうにアトリエには、犬がいたり、鳥がいたり、バイクがあったり、サーフボードがあったり・・・
いろいろなものが入った、まるでお道具箱のようです。








                      




さて、建築論です

今日からは西田幾多郎です。
幾多郎は「いくたろう」ではなくて「きたろう」と読むようです。

西田幾多郎は、鈴木大拙の後を引き継いで、世界でも独特な思想を作り上げた日本の誇る哲学者の一人です。

西洋の真似をしない禅を基にした哲学思想を作り上げてゆきました。

禅ですから、「己を忘れるという思想が基本にありますが、
幾多郎おじいちゃんが凄いのは、それを禅問答みたいな曖昧で難しいことでなく、私たちが理解しやすい西洋の説明の方法に乗っけてわかりやすく説明してくれようとしたことです。


私たちが受けてきた、明治以降の「近代の教育」は、教科書をはじめとして、ずっと西洋の説明の方法でなされてきました。

西洋の論理では、「A」と「非A」は矛盾していますが東洋の論理では、この2つは矛盾していません
もうそんなところから、私たちの脳味噌は西洋の説明に慣れてしまっているのです。
知らず知らずのうちに、西洋の脳味噌になってしまっているのです。

あるいは、西洋では「矛盾はいけないことですが、東洋では「矛盾が普通です。


日本では、死を以てはじめて生が輝きますし、生の中に平気で死が入り込んできますけれど、
生と死が一緒であることはなかなか近代の西洋の方法ではわかりにくいことです。

だから、幾多郎おじいちゃんは、「だったら君たちが慣れているやり方で説明してあげるよと言ったのだと思います。




最初に、おじいちゃんの一番の美味しい思想である「絶対矛盾的自己同一」の話が出ましたが、「自己とは自己を否定するところにおいて真の自己である」ということでした。

これは、ちょっと大拙おじいちゃんと似ているように思いました。よくわからないけど似てる気がする・・・・・。

違う言いかたをしたら、
「【A】というものは、【非A】というものを通して、本当の【A】になる」
というようなことらしいですが、その否定の論理こそ実は「場所」というものの本質だということです。

「禅の話」なのに「(建築の)場所」と関係あるの

でも、この塾の最初に習った、
「働きとしての場所」
「函数としての場所」
「空(クウ)」

という説明と並べてみると、少しだけ何となくわかるようにも思えます。


超越論的ってことに近いのかなあ・・・・。






                         前田紀貞塾 村越千紗









スポンサーサイト
プロフィール

chisakiti

Author:chisakiti
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
未分類 (26)
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。